全員営業だということで全員が営業なのでえんぞうも営業なのだが、抑も営業が何であるか良く分かっていないので色々と本を読んでみたものの、大きく分けて新規開拓営業とルートセールスというのが有るらしく、片方は電話でもなんでも良いのだがとにかく虱潰し絨毯爆撃で仕事を取ってきて納めて入金管理までする言わば飛び込み営業という奴と、テレアポ外注とかDMとかネットとかへの問い合わせに対する対応で以下同文という反響営業というのがあり、もう片方は担当のクライアントを幾つか持って自社向け案件の受注以下同文とか発注量拡大などをするのが営業なんだらしい。
別に欲しくもない人に欲しくも無いものを売る必要も無いと思うんだが、その辺はニーズに気づかせるといった詭弁でその気にさせて買わせる方式のコンサルティング営業というのも有るようだ。
でえんぞうは企画営業というまたこれ良く分からない職種からスタートして、フリーターをやってみたり、編集をやってみたり、Webディレクターをやってみたり、色々やって今のところに置いてもらっているのであるが、未だに職種が営業であるという認識は特別無くお前明日から営業だから、というので営業なんだろうなと理解してサイト構築の制作会社向け仕様書などを書いたりするのである。
大別して顧客折衝にあたる人間は一律に営業と呼称される場合が多いようで、
営業と呼ばれるからには予算と呼ばれる数値目標が課されていることが多い。
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この目標数値というのは、
会社のここ数年の年商を2割から5割程度増したものを、
各営業のここ数年の出来高に応じて適当に振り分けているケースが恐らくは多く、
数値目標に合理的な根拠が付与されて各自に周知されるような事象を、
社会に出て10年見たことがない。
昨日妻と散歩がてら雑談中にふと気が付いたのだが、
今年は頑張ったから10億売り上げたな!でもみんなムリもしただろうから来年はちょっと休んで8億で行こう!
の様に前年を下回る目標設定がなされたケースに出くわした試しが無いのである。
これはとても不思議でな事ではないだろうか。
また目標設定に際して個別に経営者若しくは準じる人間と面談が設定されることも珍しいように思う。
例えば今年100万円売り上げたが目標は200万円だった上に、
結局労働時間が月400時間を超えている労働者がいたとしたら、
その目標設定が妥当だったのかどうか労使で折衝があっても良いのではないかと少し思う。
まあそんな話はどうでもよくて。
凄く不可思議に思うのは、
明確にそれがよしと記されたり宣言されたりしたのを見たことはないが、
国家にせよ企業にせよ個人にせよ、大体成長を志向しているように思える。
なんで現状維持ではダメなのか。
経済に関しては、人口が増えるから、という議論を眼にしたことがあるが、
我が国の総人口はこれから減少するのだから、
それで言えば経済は成長しなくて良い筈ではないのか。
一方経済成長というのは一人あたりの実質GDPの拡大という議論もある。
一個人で見ると習熟度や技術革新なんかの影響で一定割合で生産効率は高まるのだが、
それに伴った報酬を得ようとすれば、報酬元である全体経済が高まった生産効率分の需要が有る前提が必要なんである。
がしかしながら、簡単にいえば人口が減ってるしある程度モノが行き渡ってるので需要自体がシュリンクしているので、
失業率が高いし就職難だしモノは安いし給料は上がらないのである。
そこであんまり深く考えない人々は一生懸命やれば成果が出るに違いないと一生懸命やったり一生懸命やらせたりする訳だが、
本質的な意味で需要が喚起できなければ内需が拡大するはずもなく、
(そういう意味で復興需要というのは福音なのかも知れないが)
一生懸命やるだけ生産効率が高まり値段だけが下がり給料が下がるのである。
別に外需頼みでもいいのだが我が国のグローバル企業と呼ばれた上場企業群の目下状況を鑑みればどれほど外需が無いのかよくわかろう。
そこで付加価値だというので実態を伴わないサービスを売ろうとするのであるが、
あれの極北は発明だと言ってもいいくらいなんだがコンプガチャである。
なんのソースも無いが、
そういった悲惨な生産活動を横目で見て育ってきた連中は、
既に貨幣に価値を見出していないかもしれない。
というかより多く財を得ようとすることがそれ即ち高給取りという幻想を見破っていて、
最早貨幣的価値を伴わない情報だとか、経験や体験に昇華させる能力を備えているように見受けられる。
欲しがりません勝つまでわ。
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